スマートに生きるとはどういうことか

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スマートに生きるについて考える

人は「スマート」と聞いたとき、二つの意味を思い浮かべます。

一つは物理的なスマート。細くしなやかな肉体などを思い浮かべるでしょう。

もう一つは振る舞いとしてのスマート。スマートな生き方や行動を思い浮かべるでしょう。

肉体的なスマートを手に入れる方法というのは容易に想像できます。運動や食事制限で身体を絞ればよいわけですからね。

ではスマートな生き方を手に入れるにはどうしたらよいのでしょうか。これを想像するのはそう容易ではではないでしょう。

「お金があればスマートに生きられる」というほど単純なものでもなさそうです。

そこで今回は「スマートに生きる」とはどういうことなのか、考えてみたいと思います。

そもそもスマートってなんだ

そもそもスマートってなんでしょう。

この場合のスマートは英語のsmartではなくて日本語的な意味でのスマートで考えるのが妥当だと思います。

まずはGoogle先生に聞いてみます。

「スマート 意味」

ポチッとな

スマート

こざっぱりして、しゃれているさま。粋(いき)。また、体つきがすらりとしているさま。態度が洗練されているさま。

なるほど。

この場合、態度が洗練されているというのがニュアンスとしては適当そうですね。

他は身体的な意味のスマート。

「粋」はもっと奥が深そうなのでスルーします。

一応広辞苑でも調べてみます。

スマート

①からだつきや物の形が細くすらりとして恰好がよいさま。

②身なりや動作などが洗練されて粋なさま。颯爽。

こちらは②が妥当ですね。

・・・また「粋」が出てきやがりました。

僕は「スマート」より「粋」のほうがよっぽど奥が深いというか形容しがたいと思うんですが・・・。

ここで粋の意味を調べたり考えたりしてもキリがないのでやはりスルーします。

ただなんとなくイメージは掴めました。

洗練されている。無駄がない。さっぱりとしている。

一般的に言えばこんな感じでしょうか。

例えば「スマートフォン」

一つの端末で電話やネット、様々なアプリといったたくさんの機能を備えており、洗練されています。ごちゃこちゃとたくさんの機械を所持する必要が無くなることから無駄もありません。だから「スマート」と形容されているわけですね。

つまりスマートは合理性効率の良さを意味しているわけですね。

たくさんある仕事をサクサクとこなしていく効率の良さ。

状況に振り回されない合理性。

そんな生き方こそがスマートな生き方と言えるのでしょう。

どうすればスマートに生きられるのか

スマートが分かったところで、じゃあどうすればスマートに生きられるのかを考えていきます。

状況に振り回されず、たくさんある仕事を合理的にこなす。

ここでいうたくさんの仕事をこなすことは所謂「労働力」を意味するものではないでしょう。

引っ越し屋さんがいっぺんにたくさん荷物を運んだからといってスマートとは言わないはずです。

定食屋のおばちゃんがキャベツの千切りをすごいスピードでこなしてもスマートとは言わないと思います。

重要なのは仕事を合理的にこなすこと、つまり「判断力」「選択能力」こそがスマートに生きる上で必要な能力と言えるでしょう。

引っ越し屋さんなら、荷物をどんな順番で運ぶか、ベストな順番を瞬時に判断することができればスマートな仕事ぶりと言えるでしょう。

定食屋のおばちゃんも時間帯で客の入りや注文を予測して、無駄を減らして店を回せればスマートな仕事だと言えます。

これを踏まえると、スマートに生きるには判断力や選択能力を高めればいいということになります。

ですが、僕の考えからすると現代社会ではそれではスマートに生きることはできないと思うんです。

なぜかというと、現代社会はあまりにも選択肢が多すぎるからです。

多すぎる選択肢が不幸を生む

現代の日本はとても自由度が高いです。どんな学校に行くか、どんな仕事をするか、どんな相手と付き合うか、どこに住むか、何を買うか。

私たちの裁量に任される部分がとても多くなってきていますし、これからも増えていくでしょう。

日用品の買い物のようなちょっとしたことから、結婚のような人生の大きな分岐点まで、幾度となく選択を強いられながら私たちは社会を生きており、その中からベストな答えを選び出すのは非常に困難を極めます。

実際、人には選択肢が多くなれば多くなるほど選べなくなるという心理的傾向があり、これは決定回避の法則と呼ばれています。

決断力を低下させる「決定回避の法則」とは?【コピーライティング×心理学】

もっと他にいい選択肢があるはずと思って選ぶことを先送りにしてしまうんですね。

「もっといい仕事があるはず」とか「もっといい人が見つかるはず」とかよくあることです。

また、たとえ選ぶことができたとしても我々には不幸が待ち受けています。100個の選択肢を目前にしたとき、人は選ばなかった99個の選択肢を無視することは非常に難しいです。

そもそも選択が間違っていた場合もありますし、たとえその選択が正しかったとしても他の選択肢の方がよかったんじゃないかという思いは沸いてきてしまいます。

「やっぱりあの仕事に就いていれば」とか「あの人と結婚しておけば」とかクヨクヨすることは誰でもあるでしょう。

社会が発展すれば我々の自由度は増していくでしょう。生まれたときから身分が決まっていて親の跡を継いで、縁談で結婚相手が決まってなんて時代とは大違いです。選択を強いられる機会も増えますし、選択肢も増えていきます。

ここで問題なのは我々の判断力のほうはそこまで発展していかないということです。同じ人間ですから、昔の人に比べて我々のほうがはるかに情報処理能力が高いなんてことはありえないです。

我々のほうは変わらないんです。ですが選択肢だけはドンドン増えていきます。

ここでスマートな生き方に対してひとつ結論がでます。

選択肢を減らす生き方こそスマートな生き方

選択肢が多すぎるなら自分で減らせばいいんです。答えはこれしかないでしょう。

選択肢を減らせばあれこれ迷う必要はなくなりますし、選ばなかったことでクヨクヨすることも減ります。

最近流行っている「断捨離」なんかも要は選択肢を減らすということを意味しています。

ものを所持すればそれだけ選択肢は増えます。いつ、どこで、どうやって使うのか、それとも使わないのか。どこに置いておこうか、それとも捨てようか、買い替えようか。

そうやってものを持って選択肢を増やすのではなく、ものを捨てることで選択肢を減らし、それらに振り回されない生き方をしようというのが断捨離なんです。

最近では、「フランス人は10着しか服を持たない」なんて本がベストセラーになりました。これも服の選択肢を減らすことを例にとり、選択肢のよりに価値を見出すことでスマートに生きようということが書かれた本です。(内容は断捨離ものに近いですが、生き方や価値観といったものにも触れているいい本だったと思います。)

服を減らせば、毎日どれを着ようか悩む時間が減ります。そして自分のスタイルというものを確立する必要が出てきます。

毎日色々な服を着てはいるけど、あんまり似合っていなくてガチャガチャとしている人。

服は数パターンしかないけど自分に似合った服をちゃんと着ている人。

どちらがスマートな生き方をしているかは一目瞭然です。

仕事でも同じです。

あれこれと課題を抱えて、それらを全てこなそうとして余裕がなくなるより、課題を絞り込んでこなしたほうがスマートです。

結局スマートさってどこからくるかというと、「余裕」や「安定性」から見えてくるものなんだと思います。

たくさんある選択肢や課題に振り回されて右往左往するような生き方ではスマートとは言えません。

だからといって目に見える選択肢や課題の全てを処理できるほど我々は賢くないですし賢くなることもできないです。

だったら選択肢や課題を減らすしかないんです。

まとめ

スマートな生き方というのは選択肢を減らして余裕を持った生き方をすることだという結論になりました。

今回は、身体的なスマートとは別の意味でのスマートを考察するということでスタートしましたが、肉体的・体力的な余裕をつくることもスマートな生き方に繋がっていくと僕は思います。

身体が資本じゃない仕事なんかありませんし、健康は全ての基礎となりますからね。

身も心も生き方もスマートになることをこれから目指していきたいです。

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